王国の記憶を後世へ

床板の修理にとどまらないイオラニ宮殿の改修・保存プロジェクト

ジャッキー・オオシロ
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ジョン・フック

イオラニ宮殿のホールに足を踏み入れると、ホノルルのダウンタウンの喧騒が一気に遠のいてゆく。天井のシャンデリアは暖かい光を放ち、かつての宮殿の居住者の地位を象徴する豪華な羽目板とカーテンをセピア色に染めている。一歩中に入ればこの場所が偉大な影響力を持っていたことは誰の目にも明らかであろう。
だがこの歴史的建物を維持するための努力は一見しただけではわかりづらい。床板の張り替えや錠の改修作業ひとつとっても、非常に細やかな配慮がなされている。宮殿の維持管理を行う人たちは建物自体のみでなく、旧王国に対して敬意を払うことを忘れない。なぜならイオラニ宮殿はハワイの主権国家の象徴であり、宮殿を復元する取り組みはハワイ王国の歴史を風化させず、その転覆の悲劇を永遠に伝える役割を担っているからだ。
現在の宮殿の建物はカラカウア王の治世中、1879年から1882年の間に建設され、歴代4人の王が使用していた同じ名前の古い建物に取って代わった。平屋建てのプランテーションスタイルの家屋だった旧宮殿とは全く対照的に、カラカウア王の宮殿はヨーロッパの壮大なパレスを想起させる設計であった。イタリアのルネサンス様式のような外観のイオラニ宮殿は当時としては驚くほど近代的で、ホワイトハウスより何年も前に屋内配管や電気が通り、当時はまだ珍しかった電話も設置されていた。
カラカウアの宮殿に対するアプローチが行き過ぎだったかどうかは未だに議論が続いているが、彼の選択は意図的なものであった。宮殿はその贅沢さのすべてにおいて国の象徴であり、王国におけるアメリカとヨーロッパの影響力が増すにつれ、国王はハワイが主権国家として国際社会の一員であることを世界に示す必要があった。
それでもカラカウアの没後からわずか2年の1893年、ハワイの君主制は私利を追求する13人の親米実業家たちによって打倒された。当時、女王に即位していたカラカウアの妹のリリウオカラニはネイティブハワイアンの権利を取り戻すため、1887年憲法の改正を試みた。それは カラカウアが強制的に署名を強いられ、米欧支配の政権に圧倒的な権限を与えるものだった。1895年、王政復古を目指すネイティブハワイアンの王族支持者が反乱を起こし、それに関与した疑いで逮捕されたリリウオカラニは、宮殿の2階の寝室に1年間にわたり幽閉された。
イオラニ宮殿がハワイ王国の中心的役割を担ったのはわずか11年間であったが、宮殿はその短い歳月において主権たる国民が飛躍的な発展を遂げる可能性を貪欲な資本主義者たちが握り潰す歴史を目の当たりにした。現在進行中の宮殿と周辺建物の修復維持の取り組みには、この歴史と文化的意義が深く影響している。
王国の転覆後、ハワイが米国の領土に併合され、のちに州となってもしばらくの間イオラニ宮殿は政府の公式な所在地であり続けた。1969年にハワイ州議会議事堂が完成し、ほぼ90年間にわたって使用された宮殿はその役目を終えた。その間、宮殿の内装は議会のニーズにあわせて手が加えられた。仕切り壁が立てられ、改築されたために元のデザインの多く失われてしまった。
1979年から宮殿の保存活動に携わり、最近では改修プロジェクトの主任建築家を務めるグレン・メイソン氏は「州議会の下院が王座の間、上院は食堂を使用し、知事執務室は2階にありました。当時の建物を記憶している人は非常にみすぼらしかったと言います」と教えてくれた。
「新たに州会議事堂が建てられ、議会が移転してから宮殿の復元が可能になりました」。空いた建物内に修復士が入って調査し、メイソン氏が「探索的手術」と呼ぶ復元作業に取りかかった。後付けの仕切り壁を除去して元のレイアウトを再現し、長い間隠れていたディテールを明らかにしていく作業だ。
修復士たちは宮殿の元の建材を生かすことにとりわけ気を使った。「今も残るコア製の階段を見ると、シロアリによる損傷を修繕するためにどの部分に新しい資材が使われされたのか一目でわかります」とメイソン氏は説明する。「ところどころに継ぎ目が見えるでしょう。これはできるだけ元の資材を残すためなのです。彼らは本当に素晴らしい仕事をしています」。
大規模な修復作業は1976年に完了したが、個別のプロジェクトは今も続いている。資金調達には不確実性が伴い、プロジェクト間の時間が長ければ長くなるほど資金調達は難しくなる。メイソン氏と彼の会社は、戴冠式パビリオンの修復、屋根の改修、外装石膏の再建など、1985年以来11の復元プロセスを監督してきた。その間、必要な資材と専門知識の確保が年々困難になっているという。たとえば宮殿にもともとあった門は溶接ではなく鍛造されていた。1970年代の修復の時点で、この傷んだ柱を再建できる鍛造工は州内に一人しかいなかったという。今日、このようなプロジェクトには州外から専門の業者を雇わなければならない。 
宮殿が生誕140周年を迎えるにあたり、やるべきことはまだたくさんあるという。フレンズ・オブ・イオラニパレスのエグゼクティブディレクターのポーラ・アカナさんは、現在のプロジェクトリストには200項目以上あり、新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより訪問者数が激減した影響で、これまで以上に資金調達の不確実性が増していると話す。逆を言えば、不確実であるからこそハワイにとってこの宮殿を残す意義は大きい。イオラニ宮殿はかつてのハワイ王国の強い意志を具現化するものだ。宮殿の保存は、今日のハワイの人々の中に秘められた強さを後世へ伝えることを意味している。

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ハワイ王国の転覆後、イオラニ宮殿は仕切り壁や改造などの手が加えられ、元のデザインの多くが失われてしまった。

床板の張り替えや錠の改修作業ひとつとっても、非常に細やかな配慮がなされている。

宮殿の維持管理を行う人たちは建物自体だけではなく、旧王国に対しても敬意を払っている。

大規模な修復作業は1976年に完了したが、個別のプロジェクトは今も続いている。

イオラニ宮殿の中へ一歩足を踏み入れれば、かつて偉大な影響力を持つ場所であったことがわかる。

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